2013年12月3日火曜日

2013年11月28日木曜日

帰国の準備(2) - 銀行口座を閉じる

銀行口座を閉じるのは、とても簡単。帰国後メールですべて手続きできます。

当家の場合、帰国後も「銀行引き落とし」があったり「デポジットの返金」があったりしたので、しばらくは口座を維持しておきたかったので、帰国前に支店に赴いて帰国する旨を告げておきました(日本国内での連絡先などを告げた)。
帰国後、すべての決済が住んだあと、銀行へ口座をとじたいとメールしただけで、銀行の方ですべての手続きしてくれて、最終的な残金を日本の口座に送付してくれました。

入出金の明細なども日本に送付してくれました。

2013年8月20日火曜日

Leuven アイスクリーム探訪

猛暑が続く日本ですが、こんな時は、ルーヴェンのアイスクリームが恋しくなります。価格もボリュームも日本ではありえない満足度。私が行ったアイスクリームショップをいろいろご紹介します。

La Casa Nostra (Tiensestraat)
Tiensestraat 61, Leuven, Vlaams-Brabant 3000
フーバープレインからTiensestraatに入ったところにあるアイスクリームショップ。冬期休業。

Gelateria Decadenza (Ladeuzeplein)
Address : Ladeuzeplein 4 3000 Leuven
http://decadenza.be/
図書館前広場に面したアイスクリームショップ。かなり美味しいのですが、なぜかお休みの日が多くて、なかなか買うことができませんでした。とっても残念。おすすめ本格イタリアン・ジェラード。冬期休業。
 
Croccantino (Vanderkelenstraat)
Leopold Vanderkelenstraat 13-15
最もお気に入りのアイスクリームショップ。1.50EUR。お母さんがよそってくれるとものすごいボリュームのアイスクリームになります(写真左)。ほかの店員さんだとほどほどの量(写真右)。お母さんに当たるよう祈りながら行列に並びます。アイスの他、ワッフルも人気ですよ。アイススタンドの方は冬場は不定期営業。
 

 ‘t Galetje (Tiensestraat)
Address : Tiensestraat 44 3000 Leuven Phone :  016/29.22.24
Open : 11:00-22:30
こちらもかなりお気に入りのアイスクリームショップ。1.3EURという価格も魅力。冬期休業。

Coulis)Coulà
Diestsestraat 136
ベルギーでは珍しい自動ドアのあるアイスクリームショップ。

llaollao
Oude Markt 56 (Kortestraat)
http://www.llaollao.be/nl/
Oude Marktに面したモダンなフローズンヨーグルト店。

Diestsestraatの聖ペトロ教会の前の角のお店
アイスとワッフルを売ってます。年中無休。どんな厳冬でもアイスクリームを売ってくれます。 店名を確認するのを忘れてしまいました。すみません。1.30EUR。


Leonidas(Brusselstraat)
Leonidasはベルギーのポピュラーなショコラティエですが、Brusselstraatの店舗では夏期にはアイスクリームを販売しています。何といってもチョコレートアイスがおすすめ。1.50EUR




Pierre Marcolini - Stockel 
Address : 14, Avenue de Hinnisdael 1150 Sint-Pieters-Woluwe (Brussels) Belgium
Phone : 02-771.27.20 
OPEN : Monday - Saturday : 10-18:30
番外編として、ルーヴェンではありませんが、ピエールマルコリーニのアイスクリームをご紹介。こちらもベルギーの超有名ショコラティエ。価格はもちろんルーヴェンエリアの普段着アイスとは違います。ひとつ5.50EUR!でも、濃厚なチョコレートアイスクリームを楽しめるのはベルギーならではの醍醐味。やっぱり食べてしまいます。
(東京駅でも買えますよ http://www.pierremarcolini.jp/shop/gransta.html )

2013年8月5日月曜日

数字の混乱(1) 日付の書き方 - 英語(欧州)と米語

ベルギー(欧州)で生活していて混乱したことのひとつは、日付の書き方。
アメリカ英語をずっと習ってきた私たち日本人は

04/07/2013

と書いてあったら、2013年4月7日のことと思うのが一般的だと思うのですが、これが欧州では間違い。これは欧州では、2013年7月4日のこと。アメリカ英語のみならず、日本語でも月・日の順に読み・書きするのでついつい混乱してしまうんですよね。ちゃんと綴り字で「July」とか書いてくれればいいんですけど、往々にして数字だけなんです。だから気を付けないと勘違いしてしまいます。メールなんかでも用心してちゃんと綴り字を書いて確認しないと危ないです。

もともと日付は the fourth (day) of July と表現していたらしいので、日-月という順番に書くのは本来的には正しい書き方なんでしょうね。アメリカ英語でいつからそれが反対の書き順になったのかわかりませんが、とにかく アメリカでは読み方も 「July (the) 4th」です。なお米語では、ハイフンやスラッシュを使わないで日付を表現する場合、「July 4(th), 2013」と月は綴り字で書くことが多く、日付のあと・年号の前にカンマを入れてあります。こっちのほうが間違えにくいと思うんですが、まあ、郷に入れば郷に従えということで、欧州式の日付にも順応するしかありませんです。ハイ。

この日付の表現は、ベルギー滞在中、いつまでたっても慣れないもののひとつでした。皆さんも気を付けてね。
<追記>
参考URL:http://www.eigowithluke.com/2012/09/english-date-format/
日付のこと、気になっていろいろ調べてみました。上記URLは、どの国がどのように日付表記をしているか説明してくれているHPです。この方の作成した地図を見ると世界ではと欧州式が主流みたいで、米国式の月-日-年、日本式の 年-月-日 の順に表記しているほうが少数派なんですね。知りませんでした。自分の常識は世界の常識ではないということです。すみませんでした、勉強になりました。

数字の混乱(2) カンマとピリオド

数字に関して、欧州の書き方と日本流の書き方の違いで混乱したことのもうひとつは、大きな数字を書くときに打つ、カンマとピリオド。

€ 2.300,00

というのは2,300.00(二千三百)ユーロのこと。
え?何のこと???
つまり、thousand million  billion と3桁ごとに打つ印がピリオドで、小数点以下の部分を表現するのがカンマという、まあ、我々が習ってきた数字の書き方と正反対なんですよね~。なんじゃこりゃ???数学って全世界共通じゃないの~~~?エクセルだって2,300.00って自動的にカンマとピリオド打ってくれるじゃないですか~~~????なんで逆なの???つまり例えば、12.345は、「十二点三四五」ではなく、「一万二千三百四十五」とベルギーでは認識しなければいけないんですよ~~~~!

と騒いている日本人の私ですが、ふと気がつくと、日本人も会話では「0コンマ1秒違い」などど、小数点を表す点を「コンマ=カンマ=comma」と発語しているではありませんか!!!なんだこれは???どうなってるの自分????書いてる自分も混乱してきました。

そこでこの違いについてインターネットで調べてみたところ、日本の書き方は英米流で、その反対が英国以外の欧州(大陸)流ということらしいんです。それぞれが自分の書き方を世界標準にしようと対立しているらしいんですが、決着はついていない。結局、日本語では、書き数字は英米の基準を取り入れて、発音は欧州大陸の表現を輸入したってことなんでしょうか?????

ま、とかく、英国と欧州は相容れないことが多いですよね。例えば、重さや長さの基準も、英(米)では、ポンドやマイル・ヤード・インチなんかを使い、欧州大陸ではグラム・メートルを使ってますものね~~~。多分どちらも、どこまでいっても、譲る気はないんでしょう。

というわけで、結局は、郷に入れば郷に従えということで仕方ありません。欧州大陸に住んでいる限りは、カンマは小数点・ピリオドが桁ドリと、慣れるしかないんでしょうね。ハイ。頑張ります。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%95%B0%E7%82%B9

2013年5月28日火曜日

船便着きました

ベルギーからの船便が本日自宅に届きました。2ヶ月かかりました。これから開梱します。

2013年5月27日月曜日

日本から持参したほうが良いもの

ベタですが、本です。特にガイドブック。とにかく欧州に住み始めるとあちこち行きたくなります。今はインターネットで情報収集できる時代ですが、やっぱり携行できるガイドブック一冊は必要です。
ブリュッセルには日本人学校の近くに青木書店という日本の本屋さんがありますので、日本語の本は入手可能です。また、帰国売などあるので、こちらで入手できないことはないですが、行きたい時に行きたい場所のガイドブックがあると便利です。まあ、欧州各国、トルコ、アフリカ、などなど出国前は行くかわからないところでも、こちらに来たらやっぱり行こうか!と思うことが多いので、できるだけ多くのガイドブックは準備していったほうがいいですよ。でも、行くかどうかわからないところすべてを新品のガイドブックで揃えると結構高くついてしまうので、そういう国の分は、出国前にBookoffとかアマゾンでの中古でも探しました。4~5年前の本でも旅行プランをねるためには結構役立ちます。

<参考>
青木書店
123 Avenue des meuniers 1160 Bruxelles
Tel: 02.675.13.52
営業: 月~土 11時~18時
休業: 日曜日・ベルギーの祝日
→青木書店は閉店しました 跡地にはスーパー田川が開店しました(2017)

2013年5月12日日曜日

新聞

フラマン語は読めないので新聞を読むことはあまりありませんでしたが情報として。

有料の新聞としては、「Het Laatste Nieuws」というのがフランダースエリアで一般的な新聞らしく、街角のスタンドで販売しているのをよく見かけます。
また、日経新聞国際版はLeuvenのメインストリート・Bondgenotenlaan 「Leuven J.Stasstraatバス停」前のお店で売ってます。一部4EUR。

駅には「Metro」という無料の新聞があります。このMetroはブリュッセルエリアだとフラマン語版(青)・フランス語版(緑)両方おいてあります。朝列車に乗ると多くの人がこのMetroを読んでいます。

2013年5月3日金曜日

「ゴロゴロ族」

「ゴロゴロ族」というのはベルギーの大学生が週末になると大きなキャリーバッグをゴロゴロと引っ張って帰省する姿に対して、私がつけたあだ名です。

ベルギー人は家族の絆や故郷の人間関係をとても大切にしているので、金曜日になるとほとんどのベルギー人大学生はルーヴェン市内からそれぞれの実家に戻って家族や地元の友人と週末を過ごします。その際持って帰るキャリーバッグ(これを引きずりながら石畳の上を歩くとゴロゴロと大きな音が出る)には洗濯物がぎっしり入っているという話。日本と違って学生たちの住む部屋には洗濯機がないので、普通は、寮についている共同洗濯機や街のコインランドリーを利用することとなります。でも、これはお金もかかるし(一回の洗濯と乾燥で最低でも6EURくらいはかかる)、面倒くさいし・・・ということで、学生たちは洗濯物を抱えて週末家に帰るわけです。そして週明け、すっかり綺麗になった衣類をキャリーバッグに詰め込んで彼らは再びルーヴェンに戻ってきます。普段は自転車で行動している学生も、金曜日の夕方と日曜日の夕方はこの大きな荷物を運ぶためバスを利用します。というわけで、普段から混雑するルーヴェン市内のバスがこの時間はさらに激しいラッシュにみまわれます(特にキャンパスと駅をつなぐバスライン2番)。これが毎週末繰り返されるのですから、関係のない私たちはその時間にバスに乗り合わせるとウンザリ・・・。

この「ゴロゴロ族」たち。最初は「洗濯物を持って帰るなんて甘えているなぁ」とか「そんなにお母さんや幼馴染みに会いたいのかなぁ」と思っていたのですが、この疑問をベルギー人にぶつけてみたら、その背景にはそんな単純な思い以外の要因もあるようです。

ベルギーでは、例えば家のちょっとした修理を依頼した時、たとえそれが専門業者であってもいい加減な仕事しかしてもらえないということがしばしば。もし日本であれば、その業者が知り合いであってもなくても、彼らは専門業者なのですから、一定の水準の仕事を完遂してもらえるはずと考えます。でもここベルギーではそうはいかない。知人ならきちんとした仕事をしてもらえるけど、知人でなければいい加減な仕事になることがしょっちゅうある。そこでベルギー人は何かを依頼しようとする時、まずツテを探す。ツテや紹介といった人間同士のつながりが背景にあれば安心だし、仕事も早いし正確。とにかく、医者・弁護士・業者・・・なんでも、まずみんなその繋がりで解決しようとする。というわけで、血縁・地縁はとっても大切。移動の少ないベルギー社会では、地縁は親や祖父母の代から続くものなので、そのつながりは何世代にも渡る彼らの財産なのです。そしてそれを大切に維持していくとが彼らの社会生活を円滑に過ごすためには必要不可欠というわけで、頻繁に帰省して旧交をあたためているという背景もあるみたいなんですね。地理的・歴史的に周辺の大国から繰り返しひどい目に合わされてきた歴史を持つベルギーでは、本当に信頼でき、心を許せるのは昔からの知人や家族だけという思いもあるのかもしれません。

とにかく、学生たちの多くがゴロゴロとキャリーバッグを引きずりながら帰ってしまった週末や長期休暇中は、ルーヴェンの街はとっても静か。帰るあてのない留学生などはガラ~ンとした学生寮でちょっとさみしい気持ちになるそう。次の始業日に向けて彼らがゴロゴロと戻ってくると街に活気が溢れます。

2013年4月16日火曜日

帰国して、今思っていること

ルーヴェンから帰国して3週間となりました。ベルギーでの生活を通じてゆっくり暮らすことの大切さありがたさを感じるようになりました。日本の忙しいペースに振り回されないようゆったり構えていきたいと思います。このブログも、帰国したらやめるつもりだったのですが、そんなにギチギチに考えずに、時々更新していくのもいいかなと感じ始めています。と思うに至ったのは、以下のブログに触発されたところがあります。

The Japans -Impressions of daily life in Japan

このブログは、ベルギー人女性がご主人の海外赴任に伴って1年間日本の豊田市で暮らした時の記録を書いたものです(英語)。このブログを知ったのは、ルーヴェン駅からブリュッセル行きの列車を待つ駅のホームで、作者の女性から「日本語で」声をかけられたことがきっかけです。ちょうどその時彼女は日本からベルギーに帰国したばかりで、せっかく習得した日本語を使ってみたかったのだと思います。また、日本で受けた様々な親切に何らかの形で恩返しできたらいいなと思っている様子でした。そこで、駅で時刻表とにらめっこして日本語で話をしていたい私たち一行に「どこに行くのですか?手伝ってあげましょうか?」と声をかけてくれたのです。彼女もちょうどブリュッセルに向かうところでしたので、同じ列車に乗り込み色々日本語で話をした後、列車を降りる間際、彼女は自分が日本の印象をブログに書いていることとそのアドレスを私たちに教えてくれました。それが、このブログです。日本人の私たちにとっても、いろいろ考えさせられるエントリーがあり、読んでいてとても面白いものです。
彼女はこのブログ中で、自分は日本からベルギーに戻ってきたけれど、日本について書きたいことはまだまだある、だからこのブログはゆっくりながら続けるつもりだと語っています。実際、帰国してから更新頻度は落ちているものの、少しずつ記事をアップしてます。

日本に帰国したらベルギーのことを書くのも僭越かなと思って、ブログの更新もやめたほうがいいのだろうと思っていたのですが、彼女のブログを見て、こんなふうにゆっくりと、自分が続けたいから続ける、というベルギー的「緩さ」もいいものかもしれない、と思うようになりました。結局、ブログは自分の満足のために書くのですから、どのような形でもいいのかなと今は考えるようになっています。
というわけで、これからも少しずつ更新していくつもりです。Up-to-dateな情報は難しいですが、いろいろ見たこと考えたことなど自分なりに書ける範囲で、ゆっくり続けていけたらいいなと思っています。よろしくお願いいたします。

2013年4月15日月曜日

その他 今後書いていこうかと思っていること

水問題ー洗濯・洗車・ビール
日曜日はおやすみ
ゆっくり暮らす:スーパーや朝市、バスの乗車、乳母車
オランダ語・英語、マルチリンガル
選挙:2012年11月14日(日)
緊急時:救急車・消防車・パトカー
公園:スタッドパーク(旧城壁)、サーカス公園、Heverleeの公園など
国民スポーツ・自転車
ロンドンオリンピック
お気に入りの散歩道
セントラルヒーティング
日本から持ってきたほうが良いもの
フランダース絵画の魅力
責任の範囲
参加したかったけど、できなかったこと いろいろ

アニメのこと
(ポケモン・クレヨンしちゃん・アルプスの少女ハイジ・ドラえもん・たまごっちゴジラなど
一般参賀


ベルギー(欧州)に暮らしていて、つらかったことが無かったと言えば嘘になります。
「もうベルギー(欧州)なんて嫌いだ、日本に帰りたい!」と思ったこともあります。
1年という短い期間で、こんな寝言を言うなと思われる方もいらっしゃることでしょう。
でも、今日はちょっと愚痴を言わせてください。やっぱりつらいこと、ありました。
明日から、また頑張ります。

2013年3月30日土曜日

帰国の準備(1) 引越し荷物

生活を閉じるためにおこなったことの記録(1)
荷物の搬出。運送会社は往路と同じクロネコヤマト。往路で用いたダンボールを再利用すれば、割引を受けられます。荷造りは往路と同じ。担当者も日本人だし、サービスクオリティも日本仕様なので安心確実。手続きも簡単。帰国別送品のうちひと箱だけ航空便を利用しました。船便は荷出しの時に現金払いか銀行振込。航空便だけはひと箱約8000円で日本着払い。航空便はほぼ1週間で届きますので、お土産などをいれました。船便は約2ヶ月かかるとこのこと。

2013年3月26日火曜日

さようなら ルーヴェン

いつかまたここに戻って来ることができるといいな。ありがとう。さようなら、ルーヴェン。


十四夜

2013年3月27日は春分のあとの最初の満月。次の日曜日31日が復活祭です。

2013年3月13日水曜日

KULeuven Central Library 大学中央図書館

Leuvenのランドマーク KULeuven中央図書館。KULeuvenは、創立600年近くの長い歴史を持つ大学です。その中央図書館は、現在、大学のみならずLeuven市にとっても象徴と言える建造物となっています。

<中央図書館の歴史>
・第一次世界大戦
もともとKULeuvenの図書館は、現在のUniversiteitshal (University Hall)にありました。しかしその建物を含むLeuvenの市街地は、第一次世界大戦1914年8月25日夜から26日にかけてのドイツ軍の攻撃によって焼け落ち、壊滅的な被害を受けました。KU Luevenが保有していた貴重な文献も多く消失してしまいました。

終戦後、KULeuvenの図書館の再建を求める機運が高まり、現在の地での図書館再建の動きが始まりました。しかし、その主導的役割を担ったのはベルギー市民ではなく、この大戦を通じて急速に国力が増大した米国でした。米国の寄贈者団体が図書館再建委員会を設立。1921年、現在の場所で、米国建築家ホイットニー・ワレンの指揮のもと新しい中央図書館の建築が始まりました。カリヨンを備えた壮麗な図書館は1928年7月4日竣工。図書館としての利用が公式に開始されました。

こうした経緯からもわかるように、この図書館は戦勝記念碑としての意味合いを含んでいます。特に米国の主導的役割を象徴するような暗喩が、この建物には隠されています。例えば、竣工日が7月4日(米国独立記念日)だったり、時計の文字盤には48個の星が散りばめられていたり、カリヨンの鐘が48個だったり(当時の米国48州をあらわしている)。暗喩のみならずはっきりとしたメッセージをみることもできます。図書館の柱には当時協力をしてくれた米国の大学や組織の名前も彫られていて、この事実を後世に伝えています。さらに、図書館の屋根、右隅には米国の象徴(ハクトウワシと星条旗)が飾られているのも見えるのです。そして、極めつけは、屋根の中央部分。兜をかぶり、甲冑を身に着け、手には剣を持った聖母マリアがワシを踏みつけている像がみえるはず。「聖母マリア」は大学の守護聖人、「ワシ」はドイツ(プロイセン)の象徴なのです。この像は、図書館がドイツ軍に勝利したことのモニュメントであることを広く喧伝するため設置されているのです。まさに対独勝利の象徴がこの図書館であったのです。

しかし、KUルーヴェン側は学問の礎であるべき図書館に、戦勝モニュメントとしてのイメージをあからさまに植え付けようとする動きに対して、懸念を抱いていました。とりわけ建物に「ドイツ人の狂気で破壊されアメリカ人の好意によって再建された」という碑文を刻印しようとするアイディアは論争を巻き起こし、紆余曲折を経て、最終的には学長兼図書館長であったラデウズ氏によって葬られました。多くの研究者にとってドイツの大学との学問的交流は欠かすことはできませんでしたし、何より大学図書館の使命は好戦的愛国主義を醸成することではなく欧州各国すべての学問文化に寄与する礎であるべきという考えからでした。
悪霊を退治する聖ゲオルギウスと聖ミカエルに支えられた
勝利の女神像

・日本との関係
このように、この図書館が米国の多大な影響・サポートによって建てられたことはよく知られています。しかし、我が国・日本も、図書館の再建に寄与したことは意外と知られていません。第一次世界大戦では、日本は戦勝国側であったため、日本からも図書館再建に対する大きな援助が送られました。こうした日本の助力の印として、米国の紋章とはちょうど反対側・屋根の向かって左の隅に、日本のモニュメント(狛犬と菊の御紋)も刻まれてます。
実はこの事実は、KULeuvenの日本学科の先生に教えていただいたものです。先生によれば、日本とベルギー(ルーヴェン)との関係は明治維新直後から始まっていて、それ以降、比較的友好な関係が続いているそうです(第2次世界大戦時は除く)。こちらに来る前は、ベルギーと日本がそんなに以前から親しい関係にあったとは全く知らず、そのことを教えられ、改めて自分の勉強不足を恥じました。

・第二次世界大戦
こうして再建された中央図書館ですが、その後も戦争の歴史に翻弄された運命をたどります。
時は流れ1940年。欧州は2度目の世界大戦の嵐に巻き込まれていました。第一次世界大戦の際は対独徹底抗戦したベルギーでしたが、この戦争では早々に降伏。ベルギーの各都市はナチスドイツの支配下におかれていきます。ドイツ軍は1940年5月16日ルーヴェン市にも侵攻。その日の午後ドイツ軍は図書館のカリヨンに砲火をあびせ、図書館全体を攻撃しました。建物は完膚なきまでに破壊され、多くの蔵書も再び灰燼に帰しました。しかし不思議なことに、激しい攻撃にもかかわらず図書館を囲む近隣の建物の多くは無事残っていました。なぜドイツ軍は周囲を破壊せず図書館だけを攻撃したのか。諸説はありますが、ドイツ国家にとって先の大戦での屈辱の象徴である図書館を、ドイツ軍が意図的にターゲットにしたのではないかとも考えられています。

・戦後
このように幾度となく苦境に立たされてきた図書館ですが、欧州に平和がもたらされた戦後、今度は、ベルギー国家が内包する理由によって、新たな転機を迎えます。それは、1960年代に勃興した、ベルギーのワロン・フラマンの対立です。

従来KUルーヴェンでは、ベルギーの国語であったフランス語で授業がおこなわれてきました。しかし、フラマン人の民族意識の高まりに伴って、フラマン語の公用語化が求められるようになりました。フラマン語圏のルーヴェン市の大学であるKULeuvenでの教育も、当然フラマン語で実施されるべきという動きが活発となります。国全体を巻き込んだワロンとフラマンの対立は、1968年、大学の分裂という結果を招きます。フランス語系の研究者・研究所はルーヴァン・ラ・ヌーヴへ移り、KULeuvenはフラマン語系大学となります。この大学分裂によって、大学図書館の膨大で貴重な蔵書も機械的に半分に分断されてしまいました。蔵書の分け方を決めかねた挙句、偶数巻と奇数巻で便宜的に二分してしまったものもあるらしく、実際に貸出利用しようとしたとき不都合がある場合もあるそうです。
私は実際に、ルーヴァン・ラ・ヌーヴのCULの図書館も訪ねたことがあるのですが、あまり、KULeuvenと交流はないみたいでしたね。相互貸出とかもあんまりしてないみたいな話しぶりでしたし・・・。一応、こちらのカードでも入館できるみたいなんのですが・・・。貴重な蔵書も多数あるばずなのに・・・。

現在の落ち着いたたたずまいからは想像できませんが、歴史によって翻弄されてきたKUルーヴェン大学図書館。この、素晴らしい図書館がずっと平和に利用され続けることを願ってみません。

参考図書:
『図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで』
マシュー・バトルズ著 草思社(2004/10)
『That's why Leuven』 WEAN international b.v.
http://www.firstworldwar.com/video/sackoflouvain.htm
『図書館炎上―二つの世界大戦とルーヴァン大学図書館』 
ヴォルフガング シヴェルブシュ  (著), 福本 義憲 (訳)
法政大学出版局 (1992/10)

<図書館の内部>
中央図書館の1階(日本風に言うと2階)には、広々とした閲覧室があります。書架には美しいレリーフが施され足を踏み入れた人を圧倒します。膨大な蔵書に囲まれた重厚で豪華な閲覧室なら、何だか勉強もはかどりそうです。実際、試験前の時期はすべての席が埋まってしまって、多くの学生さんが勉強する姿が見られます。

中央図書館の2階には、東方図書館があります。この図書館には中国語・韓国語はもちろん、日本語の文献もたくさんあります。もちろん難しい専門書が中心ですが、なかには漫画本や軽い読み物もあったりして、私も時々利用させていただきました。実は、東方図書館専任司書のなかに一人、日本語が大変堪能なベルギー人司書の方がいらっしゃいます。私も図書館利用でわからないことがあったときは、その方にご相談させていただきました。とても丁寧にお答えいただいて、助けられました。ありがとうございました。
ちなみに東方図書館の入口の壁には大江健三郎氏からKULeuven日本学科の教授にあてた手紙が展示されています。大江氏がノーベル文学賞を受賞した背景には海外での積極的な活動があったという話を裏付ける資料と言えるかもしれません。

<観光したい方は・・・>
観光という意味で中央図書館内部に入りたい場合は、受付でその旨申し出ると入館できるようです。また、中央図書館では、カリヨンを見学するツアー等のイベントも実施されているそうです。残念ながら私は参加していませんが、興味のある方はこちらへ。
http://bib.kuleuven.be/english/bibc/cb-cultural/visit

現在の図書館の具体的な利用方法については別項をご参照ください。

追記:インターネットを巡っていて参考になる写真を発見しました。第一次世界大戦でドイツ軍に爆撃された直後の様子をうつしたものだそうです。左手に破壊された図書館(現在のユニバシティーホール)、奥に市庁舎の尖塔が写っているのがわかります。
https://www.flickr.com/photos/library_of_congress/6130074335/

2013年3月12日火曜日

Ladeuzeplein  中央図書館前広場

ルーヴェンで最もイベントに利用されている広場。歴史的にはルーヴェンの中心広場はGroteMarktなのですが、この広場は市庁舎が大きすぎて空間が小さいため、大きなイベントを開催するときは図書館前広場が主会場になることが多いようです。毎週金曜日には、この広場と隣接するフーバープレインで大規模な朝市が開かれます。また、9月にはケルミス(移動遊園地)、12月にはクリスマスマーケットの開催場所ともなります。日頃の様々なイベントもここを中心に行われることが多いです。

この広場の中央に、不思議なオブジェがあります。大きな縫い針の先端に緑色の甲虫刺さっているもの。これはKULeuvenの開学575年を記念して、KULeuvenがLeuven市に寄贈したオブジェです(オブジェの根元のところに記念の文字があります)。このオブジェの意味について、KULeuvenの先生にうかがったところ「学問とは昆虫標本をつくるようなもの=蒐集して分類して分析すること」だそうで・・・。何だか、わかったようなわからないような・・・。この前衛的なオブジェに対して、ルーヴェン市民のあいだでも賛否があって、ルーヴェンの伝統的な雰囲気に似合わないと考える人もいるし、モダンで面白いと考える人もいるようですよ。
ちなみに、このオブジェの製作者はアントワープを中心に活躍する現代芸術家JanFabre氏。2012年2月現在、ブリュッセルの王立美術館で彼の作品展も開催されています。その展覧会で見た彼の作品も、具象的でありながら前衛的という不思議な作品ばかりでしたから、まあ、このオブジェも「彼らしい作品」と言えるかもしれませんね。

<Jan Fabreの展覧会>
Jan Fabre - Chapters I-XVIII. Waxes & Bronzes
Museum of Ancient Art (Royal Museums of Fine Arts of Belgium)
12-10-2012 - 15-05-2013

2013年3月10日日曜日

Tongeren トングレン 3月

寒い寒いベルギー。3月にこれだけの寒さなのは何十年ぶりだとか。そんな中最後のベルギー街歩きは、日曜朝開催されるベネルクス最大のAntiekmarkt(骨董市)で有名なTongeren。アンティークめぐりだけではなく、素敵な街歩きができました。

<当日の日程>
9:05Leuven→9:19Aarschot乗換 9:24→10:18Tongeren 観光案内所 Antiekmarkt(骨董市) 教会コンサート(ベギンホフ) 昼食 13:44Tongeren→Aarschot乗換→14:55Leuven 

<LeuvenからTongeren行きの列車>
日曜日はLeuvenからTongeren行きの直通列車はなく、LiegeかAarschotで乗換になります。SNCBのサイトで調べると、どちらを経由しても1時間20分程度で同じような感じでした。しかし、日曜日のLiege行きのICは、なぜか早朝から遅れが出ていることが多いので、Liegeでの乗り継ぎ時間が少ないこのルートはリスクが高いように思いました。そこで、今回は普通列車のAarschot乗り換えを利用しました。

<Tongeren観光案内所>
駅から徒歩10分。街の中心部に向かってリングを越えて300m位いったところに観光案内所があります。ここでアンティーク市のことを尋ねると、丁寧に答えてくれます。さらに、立派なパンフレット(地図付き)をいただきました。

<Antiekmarkt(骨董市)>
観光案内所から徒歩5分。ベネルクス最大のAntiekmarkt(骨董市)の主会場はリング沿いの屋内展示場と周辺の青空市。私が訪れた時は、寒い寒い雪混じりの日曜日。さすがに、青空マーケットには人もまばらで、11時過ぎには店じまいしてしまうほど。ただ、インドアの市の方はなかなかの賑わいで、そぞろ歩くだけでも楽しく、掘り出し物を探してさまよいました。かわいい雑貨、家庭用品、家具、コレクターグッズ、アクセサリー・・・とにかくありとあらゆるアンティークグッズ。いくら眺めていても見飽きないなぁ。Tongerenにはずっとずっと行ってみたかったのですが、帰国も間近になってようやく念願かなってとっても嬉しかったです。
ちなみに、Antiekmarkt(骨董市)は日曜午前中のみの開催ですが、周辺にはアンティークショップもたくさんあって、通常は日曜お休みのベルギーですが、そうしたお店は例外で日曜日でもオープンしています。常設のアンティークショップの品々はちょっと高級そうですが、目利きの方なら、意外な掘り出し物もみつけられそう。とにかく、アンティーク好きなら絶対行くべき街ですね。

<城壁と門>
トングレンにはローマの遺跡・城壁と城門(モーレンポールトMoerenpoort)が残っています。Antiekmarktの主会場のすぐ横。城壁の上を歩くことも可能です。また、城門に登ることもできるらしいのですが、こちらは有料。

<ベギンホフ>
Tongrenには、ベギンホフもあります。Moerenpoortからベルギーらしい石畳を歩くこと5分。ベギンホフの特徴的な家並みが見えてきます。さらにここには、ベギンの生活を忠実に再現した小さな博物館があります。この博物館を訪れると、Antiekmarktで販売されているさまざまな家具や品物も、昔はこんな部屋に設えられていたんだろうなと想像を膨らますことができてとても楽しいです。この博物館の存在はあまり知られていないようですが、素敵な場所ですよ。おすすめ。
ちなみに、この日、ベギンホフの教会で地元の音楽家たちによる小さなコンサートがおこなわれていました。1曲だけ拝聴させていただきました。
<昼食>
ランチは、街の中心・世界遺産の聖母教会の広場に面したビアカフェで。ベギンホフから徒歩5分。本当に寒い日だったので街にはほとんど人影もなかったのですが、この店は地元客で一杯。すいているだろうと思ってドアを開けてびっくり。次から次へとお客さんがやってきます。お年寄りが一人でゆったりとブランチを楽しんだり、若い人が友達とのおしゃべりに花を咲かせたり、中年のご夫婦何組かで集っていたり・・・・と本当に地元に根付いたカフェという雰囲気。お昼はクロックムッシュと本日のスープ。冷え切った体もあたたかい料理と楽しい雰囲気で温もることができました。料理と飲み物で15ユーロくらい。
<Cafe 't Gerechtshof>
Vrijthof 1, 3700 Tongeren, 電話:+32 12 74 20 78 http://www.gerechtshof.be/
クロックムッシュ
<聖母教会堂 Onze-Lieve-Vrouwebasiliek>
世界遺産の聖母教会。中には回廊もあってかなり立派なものでした。内部のパイプオルガンとマリア像のが見どころだそうです。
参考URL:http://www.visitflanders.jp/where_to_go/tongeren/
<ひとこと>
ベルギー街歩きの最後を締めくくるにふさわしいTongeren.。レンガ造りの家並み、石畳、教会、広場・・・フランダースの街の特徴を備えているうえに、ローマの遺跡やベギンホフ博物館もあり、そしてなにより、骨董市めぐりができるという本当に楽しさいっぱいの街。ベルギーのほかの小さな街だと、一度訪れれば十分かなと思ってしまうのですが、骨董市があるので、ここは本当に何回も訪れたくなる街です。ベルギーの街をたくさん訪問しましたが、Tongerenはベルギー街歩きには外せない、絶対におすすめの町だな~と思いました。

2013年3月9日土曜日

ハッセルト 3月

ベルギー街歩き、帰国前の駆け込みシリーズ・その2。ハッセルトへ。今回は観光目的ではなく、おしゃれタウン・ハッセルトで日本に持ち帰る品を物色。庶民的なルーヴェンのショッピングストリートに比べて、ハッセルトは何となくハイセンスな雰囲気。ブランド品をおいたセレクトショップもあったりして、見て歩くだけでも楽しいので大好き。ショコラティエもおしゃれでしたよ。

Boon - The Chocolate Experience
Paardsdemerstraat 13, 3500 Hasselt,  +32 11 42 21 99
http://www.thechocolateexperience.be/

サッカー観戦記 Oud Heverlee Leuven 3月

サッカー日本代表GK・川島選手、小野選手、永井選手と3人の日本人所属選手のいるスタンダール・リエージュがLeuvenの地元サッカーチーム・Oud Heverlee Leuvenと対戦します。会場はベギンホフから徒歩10分のスタジアム!これは観戦に行かなければ!!(もちろん私はOHLを応援しますよ!)
<チケット>
試合開始は夜8時。当日券は試合開始1時間半前から、スタジアムの横にあるチケットブースで販売されます。インターネットでの購入やシーズンチケットなどもあると思うのですが、何分、オフィシャルサイトはフラマン語。よくわかりません。どのように購入するか、ご存知の方がいれば教えていただきたいです。というわけで、18時半にチケットブースで直接購入。当日券で購入できた席は、ゴール裏。1枚25EURでした。

<試合内容>
OHLにとっては、トホホな結果。何と試合開始直後13秒で失点。集中力なさすぎ!さらに失点を重ね、結局0-4で敗戦。全くいいところがない試合で、フラストレーションたまりましたよ!確かにリーグ戦は終盤戦で、中位につけているOHLにとっては、どんなに頑張っても上には上がれないし、かといって、2部落ちするほどでのないという、モチベーションの上がらない消化試合かもしれないけど、これはないでしょう!それもホームスタジアムで!!スタジアムは8割がたファンで埋まってましたよ。ファンのためにももっと頑張って欲しいなぁ!
一方、リエージュはノリノリ。日本人選手もしっかり活躍。川島選手はもちろん正キーパーとして不動の地位ですし、小野選手も先発出場。前半のみのプレーでしたが、フリーキックを担う重責もこなしていました。さらに、永井選手後半残り10分からの出場でしたがキッチリとアシストを記録。日本選手を応援していた日本人の方たちには、満足できる試合だったと思います。(たくさんの日本人が応援に来ていましたよ。日本からわざわざ応援に駆けつけてきた方もいたようで、びっくり。)
ノリノリのリエージュファン(赤いタオルでわかりますね)
<アクセス>
バスだと、DeLijnの1番か2番、NAAMSEPOORTが最寄のバス停です。そこから徒歩5分。試合のある日は大勢のファンが歩いているので迷うことはありあません。自家用車用駐車場もあります。

<感想>
OHLにとってはトホホな試合ではありましたが、リエージュに所属する3人の日本選手の活躍も見れたし、スタジアムの雰囲気もいいし、楽しい観戦ではありました。OHLのスタジアムはとても小さいので、フィールドと客席が近くて、迫力満点。地元愛の強いベルギーですので、どんなに弱いOHLでも熱狂的な応援があって、そんなところも楽しめました。
Youtube動画:OHルーヴェン 0-4 スタンダール・リエージュ(2013/03/09)
オフィシャルサイト:http://www.ohl.be/
小野選手がPKを蹴るところ

2013年3月7日木曜日

ワーテルロー 3月

ベルギー街歩き、帰国前の駆け込みシリーズ。ワーテルローの古戦場に行ってきました。今回は、カーシェアリング・カンビオの利用。お昼はワーテルローの寿司店・和太郎で。

<ワーテルローの戦い>
ワーテルローの戦いとは、1815年6月18日、英国・ウェリントン公爵率いるイギリス・プロシア・オランダ連合軍がフランス皇帝 ナポレオン・ボナパルト率いる仏軍を現・ベルギー王国ブリュッセル郊外ワーテルローの地で打ち破った戦闘のこと。数々の輝かしい戦勝を誇る戦争の天才・ナポレオンの最後の戦いとしても知られています。全軍合わせて歩兵25万人、騎兵10万人、大砲900台が投入され、一日の激戦で、死傷した4万人の兵と1万匹の馬がワーテルローの地に残されたそうです。

この戦によってナポレオンの大帝国の夢は瓦解し、戦勝側、英・普・墺・露の主導のもと、欧州の新しい秩序が構築され、その後約100年間(第一次世界大戦まで)欧州の地には平和がもたらされます。この平和な期間に欧州はさらに発展し繁栄していったのです。

この戦いは、日本史にとっての関ヶ原の戦いに近いものがあります。仏軍自慢の1万2000人の騎兵とそれを迎え撃つ陣形(方陣)を取った連合軍の激闘など戦史上も注目すべき戦いですし、また、歴史上も欧州の地図を塗り替えるターニングポイントになった戦闘ということで、語り継がれています。

さらにこの地に立ってみると、ベルギー在住者としては、欧州の大戦の最前線となってしまうベルギーという地域の持つ宿命を改めて突きつけられるような気がします。後の欧州最大の戦争・第一次世界大戦の主戦場もベルギーであったことを思いあわせると、欧州における小国ベルギーの立場の難しさと悲しさを実感させられます。
また、ナポレオンの敗因はいろいろ分析されていますが、ベルギー独特の雨の多い天候(数日前から続く雨によって地面がぬかるんでいて、仏軍自慢の騎兵の進行が阻まれた)がその原因の一つであったと知り、200年前も変わらぬ気候だったのだなぁと改めて感慨を覚えました。

ワーテルロー古戦場には戦況を紹介した博物館もありますが、英語で紹介されているので日本人にはちょっとわかりにくいです。できれば前もってDVDなどで戦況を勉強してから彼の地に訪れるとさらに理解が深まると思います。

参考:ヒストリーチャンネル・究極の戦闘史「ワーテルロー」



ナポレオンのフィギュアお土産。
ちょっと間抜けな顔のナポレオンですが
<和太郎>
在白日本人御用達の日本料理店。店名の和太郎はWATERLOOからだそうですよ。
(ランチセットは14EUR、その他一品料理もあります)
WATARO
Address :Chée. de Bruxelles 399 1410 Waterloo (Waterloo, Belgium)
Belgium
Tel: 02 353 01 34
Fax : 02 353 01 34
Open from 12h to 14h and from 18h30 to 22h30, the WE to noon from 12h to 14h30.





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2013年3月2日土曜日

ルーヴェンでお買い物 パン販売 あれこれ

食事には、主食のパンは欠かせないベルギー人。朝市で購入する量も半端ない。袋いっぱいのパンをおばあさんが購入している姿をよく見かけます。
スーパーマーケットにも大きなパンの棚があります。自分でこの棚から出して、自動パンスライサーでパンをカットします。このパンスライサーはとても一般的な機械で、街のパン屋さんでスライスを頼むと同様の機械でカットしてくれます。パンの厚みは日本の10枚切り位。

スーパーが休みになる日曜日のために、街角にはパンの自動販売機もありますよ。

2013年2月28日木曜日

最後のブリュッセル

ベルギー生活最後のブリュッセル訪問は、在ベルギー日本大使館への所用。手続きがいろいろあって、ここにはお世話になりました。

在ベルギー日本国大使館
Square de Meeûs / De Meeussquare 5-6, 1000 BRUXELLES / BRUSSEL
電話 32-(0)2-500-0580 FAX 32-(0)2-513-4633
領事部開館時間 午前9時15分~12時 午後1時30分~4時

2013年2月16日土曜日

ディナン 2月

アルデンヌ地方、ムーズ川沿いの小さな町ディナン。

<当日の日程>
9:27Leuven駅→Ottignies乗り換え→Namur乗り換え→11:39Dinant駅着 →(徒歩5分)→ 観光案内所 →(徒歩10分)→サックスの像・サックスの生家(サックス博物館)→昼食(Café Leffe)→シタデル→ノートルダム教会→クックドディナン購入→徒歩15分→洞窟入口→15:21Dinant駅→Brussel Noord乗り換え→17時30分頃Leuven着

<観光案内所>
駅からムーズ川の橋を渡る手前を左に曲がると観光案内所があります。ここでディナンの無料地図がもらえます。ガイドブックに載っていなかった観光名所(鍾乳洞とレフェビール博物館)の存在をここで教わりました。英語も通じます。駅から徒歩5分。

<アドルフ・サックス通り・サックスの像・サックス博物館>
ディナンは、楽器「サックス」を発明したアドルフ・サックスの故郷としても有名。街のメインの橋にもサックスの大きな像が飾られています。サックス博物館はサックスの生家を改装したもの。小さな可愛らしい博物館です(無料)。駅から徒歩10分程度

<昼食・レフェカフェ>
小さな小さなグランプラス(矛盾した表現ですが)に面した、ビアカフェ。地元の人観光客両方で混雑していたので入店してみました。ここディナン発祥のレフェビールとベルギー料理に舌鼓。メニューはフランス語のみ。サックス博物館から徒歩5分。料理3品+ドリンクで60EUROくらい。




<シタデル>
ディナンは交通の要所であったため、これまで数多くの戦争に巻き込まれてきました。街を守るために建てられた城砦も時代時代に翻弄されて、数々の戦闘に巻き込まれてきました。そんな歴史も学べるちょっとおどろおどろしい博物館です。ケーブルカーか徒歩でシタデルの上に登れます(いずれにしても入場料8EUR)。夏はシタデル博物館の中はガイドツアーでのみ見学できるみたいなんですが、私が言ったときは閑散期であったため自由見学できました。




<ノートルダム教会>
シタデルのケーブルカーの乗り口のすぐ横にある、街の象徴。美しいステンドグラスが見られます。


<Maison JACOBS クックドディナン>
ディナン名物、クックドディナンの老舗でお土産購入。蜂蜜と小麦粉だけで作ったお菓子は、以前は戦闘時の保存食であったというだけあってとても硬く日持ちのするもの。食べるときは事前に折って、ミルクやコーヒーに浸して柔らかくして食べるのだそう。直接かじると歯を折るらしいので、ご注意。教会から徒歩5分。Maison JACOBS:Rue Grand,147  B-5500 Dinant  tel:082 /22 21 39

<鍾乳洞・レフェ博物館>
当日存在を知ったディナンの観光名所。鍾乳洞の見学は1時間ごと。入口まで行ってみたのですが、時間がかかりそうだったので断念。暖かく日の長い季節なら良かったな。駅から街の中心とは反対方向に歩いて15分くらい。レフェ博物館はその手前にあります。

思った以上に見所も多く、楽しいベルギー・ワンデイトリップとなりました。
ディナン観光局http://www.dinant.be/index.php