・第一次世界大戦
もともとKULeuvenの図書館は、現在のUniversiteitshal (University Hall)にありました。しかしその建物を含むLeuvenの市街地は、第一次世界大戦1914年8月25日夜から26日にかけてのドイツ軍の攻撃によって焼け落ち、壊滅的な被害を受けました。KU Luevenが保有していた貴重な文献も多く消失してしまいました。
終戦後、KULeuvenの図書館の再建を求める機運が高まり、現在の地での図書館再建の動きが始まりました。しかし、その主導的役割を担ったのはベルギー市民ではなく、この大戦を通じて急速に国力が増大した米国でした。米国の寄贈者団体が図書館再建委員会を設立。1921年、現在の場所で、米国建築家ホイットニー・ワレンの指揮のもと新しい中央図書館の建築が始まりました。カリヨンを備えた壮麗な図書館は1928年7月4日竣工。図書館としての利用が公式に開始されました。
こうした経緯からもわかるように、この図書館は戦勝記念碑としての意味合いを含んでいます。特に米国の主導的役割を象徴するような暗喩が、この建物には隠されています。例えば、竣工日が7月4日(米国独立記念日)だったり、時計の文字盤には48個の星が散りばめられていたり、カリヨンの鐘が48個だったり(当時の米国48州をあらわしている)。暗喩のみならずはっきりとしたメッセージをみることもできます。図書館の柱には当時協力をしてくれた米国の大学や組織の名前も彫られていて、この事実を後世に伝えています。さらに、図書館の屋根、右隅には米国の象徴(ハクトウワシと星条旗)が飾られているのも見えるのです。そして、極めつけは、屋根の中央部分。兜をかぶり、甲冑を身に着け、手には剣を持った聖母マリアがワシを踏みつけている像がみえるはず。「聖母マリア」は大学の守護聖人、「ワシ」はドイツ(プロイセン)の象徴なのです。この像は、図書館がドイツ軍に勝利したことのモニュメントであることを広く喧伝するため設置されているのです。まさに対独勝利の象徴がこの図書館であったのです。
しかし、KUルーヴェン側は学問の礎であるべき図書館に、戦勝モニュメントとしてのイメージをあからさまに植え付けようとする動きに対して、懸念を抱いていました。とりわけ建物に「ドイツ人の狂気で破壊されアメリカ人の好意によって再建された」という碑文を刻印しようとするアイディアは論争を巻き起こし、紆余曲折を経て、最終的には学長兼図書館長であったラデウズ氏によって葬られました。多くの研究者にとってドイツの大学との学問的交流は欠かすことはできませんでしたし、何より大学図書館の使命は好戦的愛国主義を醸成することではなく欧州各国すべての学問文化に寄与する礎であるべきという考えからでした。
悪霊を退治する聖ゲオルギウスと聖ミカエルに支えられた 勝利の女神像 |
・日本との関係
このように、この図書館が米国の多大な影響・サポートによって建てられたことはよく知られています。しかし、我が国・日本も、図書館の再建に寄与したことは意外と知られていません。第一次世界大戦では、日本は戦勝国側であったため、日本からも図書館再建に対する大きな援助が送られました。こうした日本の助力の印として、米国の紋章とはちょうど反対側・屋根の向かって左の隅に、日本のモニュメント(狛犬と菊の御紋)も刻まれてます。
実はこの事実は、KULeuvenの日本学科の先生に教えていただいたものです。先生によれば、日本とベルギー(ルーヴェン)との関係は明治維新直後から始まっていて、それ以降、比較的友好な関係が続いているそうです(第2次世界大戦時は除く)。こちらに来る前は、ベルギーと日本がそんなに以前から親しい関係にあったとは全く知らず、そのことを教えられ、改めて自分の勉強不足を恥じました。
・第二次世界大戦
こうして再建された中央図書館ですが、その後も戦争の歴史に翻弄された運命をたどります。
時は流れ1940年。欧州は2度目の世界大戦の嵐に巻き込まれていました。第一次世界大戦の際は対独徹底抗戦したベルギーでしたが、この戦争では早々に降伏。ベルギーの各都市はナチスドイツの支配下におかれていきます。ドイツ軍は1940年5月16日ルーヴェン市にも侵攻。その日の午後ドイツ軍は図書館のカリヨンに砲火をあびせ、図書館全体を攻撃しました。建物は完膚なきまでに破壊され、多くの蔵書も再び灰燼に帰しました。しかし不思議なことに、激しい攻撃にもかかわらず図書館を囲む近隣の建物の多くは無事残っていました。なぜドイツ軍は周囲を破壊せず図書館だけを攻撃したのか。諸説はありますが、ドイツ国家にとって先の大戦での屈辱の象徴である図書館を、ドイツ軍が意図的にターゲットにしたのではないかとも考えられています。
・戦後
このように幾度となく苦境に立たされてきた図書館ですが、欧州に平和がもたらされた戦後、今度は、ベルギー国家が内包する理由によって、新たな転機を迎えます。それは、1960年代に勃興した、ベルギーのワロン・フラマンの対立です。
従来KUルーヴェンでは、ベルギーの国語であったフランス語で授業がおこなわれてきました。しかし、フラマン人の民族意識の高まりに伴って、フラマン語の公用語化が求められるようになりました。フラマン語圏のルーヴェン市の大学であるKULeuvenでの教育も、当然フラマン語で実施されるべきという動きが活発となります。国全体を巻き込んだワロンとフラマンの対立は、1968年、大学の分裂という結果を招きます。フランス語系の研究者・研究所はルーヴァン・ラ・ヌーヴへ移り、KULeuvenはフラマン語系大学となります。この大学分裂によって、大学図書館の膨大で貴重な蔵書も機械的に半分に分断されてしまいました。蔵書の分け方を決めかねた挙句、偶数巻と奇数巻で便宜的に二分してしまったものもあるらしく、実際に貸出利用しようとしたとき不都合がある場合もあるそうです。
私は実際に、ルーヴァン・ラ・ヌーヴのCULの図書館も訪ねたことがあるのですが、あまり、KULeuvenと交流はないみたいでしたね。相互貸出とかもあんまりしてないみたいな話しぶりでしたし・・・。一応、こちらのカードでも入館できるみたいなんのですが・・・。貴重な蔵書も多数あるばずなのに・・・。
現在の落ち着いたたたずまいからは想像できませんが、歴史によって翻弄されてきたKUルーヴェン大学図書館。この、素晴らしい図書館がずっと平和に利用され続けることを願ってみません。
参考図書:
『図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで』
マシュー・バトルズ著 草思社(2004/10)
『That's why Leuven』 WEAN international b.v.
http://www.firstworldwar.com/video/sackoflouvain.htm
『図書館炎上―二つの世界大戦とルーヴァン大学図書館』
ヴォルフガング シヴェルブシュ (著), 福本 義憲 (訳)
法政大学出版局 (1992/10)
<図書館の内部>
中央図書館の1階(日本風に言うと2階)には、広々とした閲覧室があります。書架には美しいレリーフが施され足を踏み入れた人を圧倒します。膨大な蔵書に囲まれた重厚で豪華な閲覧室なら、何だか勉強もはかどりそうです。実際、試験前の時期はすべての席が埋まってしまって、多くの学生さんが勉強する姿が見られます。
中央図書館の2階には、東方図書館があります。この図書館には中国語・韓国語はもちろん、日本語の文献もたくさんあります。もちろん難しい専門書が中心ですが、なかには漫画本や軽い読み物もあったりして、私も時々利用させていただきました。実は、東方図書館専任司書のなかに一人、日本語が大変堪能なベルギー人司書の方がいらっしゃいます。私も図書館利用でわからないことがあったときは、その方にご相談させていただきました。とても丁寧にお答えいただいて、助けられました。ありがとうございました。
ちなみに東方図書館の入口の壁には大江健三郎氏からKULeuven日本学科の教授にあてた手紙が展示されています。大江氏がノーベル文学賞を受賞した背景には海外での積極的な活動があったという話を裏付ける資料と言えるかもしれません。
<観光したい方は・・・>
観光という意味で中央図書館内部に入りたい場合は、受付でその旨申し出ると入館できるようです。また、中央図書館では、カリヨンを見学するツアー等のイベントも実施されているそうです。残念ながら私は参加していませんが、興味のある方はこちらへ。
http://bib.kuleuven.be/english/bibc/cb-cultural/visit
現在の図書館の具体的な利用方法については別項をご参照ください。
追記:インターネットを巡っていて参考になる写真を発見しました。第一次世界大戦でドイツ軍に爆撃された直後の様子をうつしたものだそうです。左手に破壊された図書館(現在のユニバシティーホール)、奥に市庁舎の尖塔が写っているのがわかります。
https://www.flickr.com/photos/library_of_congress/6130074335/